会社概要
㈱茶問屋川村翠香園の会社概要です。
翠香園会社概要の索引
㈱茶問屋川村翠香園沿革
大正元年(1912年)、現社長の曽祖父川村保市により茶、みかんの仲買人として家業を創業しました。
二代目川村太市の念願は、『自社工場を持ち、消費地に顧客を獲得して、仲買人から問屋業へ転出すること』でした。紆余曲折はあったものの自社工場を持つことができ、消費地の得意先も徐々に獲得し、産地問屋として発展しました。戦後の動乱を乗り切り、確固たる礎を築くことができたのです。
昭和49年(1974年)個人商店より、資本金1500万円の株式会社に改組し、業界内でも要職を務めました。 昭和50年(1975年)川村太市急逝により、川村太巳夫(当時23歳)が社長となり社業を継続しました。
当初は先代の残した基盤を生かし、景気も順調だったこともあり堅調に推移していきましたが、バブル崩壊、リーマンショック、東北大震災と経営環境は激変しました。またペットボトルの出現、インスタントティーの出現などにより、お茶離れが加速しました。とりわけ若年層では急須で飲むお茶が敬遠され、消費地小売店に基盤を置いた販売は変革を求められました。
これに対し平成25年(2013年)、食の安心安全を目指すとともに、大手流通業者の要望にもこたえられる設備を整えるべく新工場を建設し、翌平成26年(2014年)、社長を現川村直也に委譲しました。
平成28年(2016年)新社長の指揮の下、粉末茶製造ラインを導入し、新規事業に対し積極的に対応しました。
平成30年(2018年)にも粉末茶専用袋詰めラインの導入を決定しました。
取引をお考えの方へ
大正元年より100年以上続く茶問屋として伝統を踏まえながら、常に未来を見据えた提案を行うのが翠香園です。
- 減少するリーフ市場ではありますが「お茶本来の旨さ」「お茶の作り出す文化」という観点から急須で入れるお茶に対しての矜持があります。リーフでの新しい商品開発では、よりきめ細かい地域の需要を年齢層も意識しながら構成していきます。全国の茶園面積は減少傾向ですが、優良品種の作付け農家さんとの連携により、複数品種の組み合わせを小ロットでの対応させることに自信があります。
- リーフが減少しているからといって、安易にペットボトルへの対応をすればよいというものではありません。どうやったら、より美味しいお茶を最終消費者の方々に急須なしで飲んでいただけるのかを考え続けています。ティーパックや粉末茶の対応もしております。技術的な例として、緑色を損なうことなく焙煎した粉末茶の開発秘話をHPにてご確認ください。
- 英語での商談や説明が求められる場面が今後は増えてくるでしょう。HPやパンフレットについて随時英語での用意を進めています。
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